研究?社会連携

社会?地域連携事業

正解のない問題へ挑戦することで、社会人に必要な能力を身につける

本学では、学修した専門知識を活かすため、企業や地域が抱える課題を解決するための実践的なプロジェクトを多数用意しています。これらのプロジェクトを通して、物事の筋道を立てて考えることのできる「論理的思考力」や、仲間の意見を尊重しながら物事を進めることのできる「協調性」などを身につけ、自ら課題を発見し解決する能力を養うことができます。

プロジェクト事業

八尾市商業活性化プロジェクト

やおセレクション

2013年、本学と八尾市が結んだ包括連携協定の一環として始まったプロジェクト。八尾市にある商店街が抱える課題解決に向けて、学生自ら商店街に赴きアンケート調査をするなどフィールド活動を実施し、地域の魅力を発信するフリーペーパー「やおセレクション」を企画制作しました。毎年改善を重ね、2018年度はVol.5を発刊。「八尾の歴史に残る仕事」をめざし、活動を続けます。

プロジェクトのプロセス

  1. 商店街活性化のため、店舗ヘヒアリング
  2. 調査から導いた課題を設定
  3. 課題解決のための情報誌企画を策定
  4. コンセプト設定のための実態調査
  5. 商店街や店舗へ取材?撮影
  6. デザイナーと協議し、原稿制作
  7. 原稿(ゲラ)の校正
  8. 「やおセレクション」発刊

FASHION LEADERSプロジェクト

観客動員数約4,000名のエンターテインメントショー「FASHION LEADERS」の認知拡大と新規顧客開発の依頼を受け、プロジェクトを発足。広報と企画営業の2チームに分かれ、ターゲットの心理を意識しながら、営業?広報活動を実施。実際の企画?運営を通じて、主体性や、渉外能カ、プレゼンテーション能カ、自己管理能力など働く上で必要となる能力が修得できます。

関コレ社にて、FASHIONLEADERSの事前打ち合わせ
関コレ社にて、FASHIONLEADERSの事前打ち合わせ
プレス担当として、プロがモデルからコメント撮り
プレス担当として、プロがモデルからコメント撮り

プロジェクトのプロセス(例:企画営業チーム)

  1. 目的:新規クライアント開拓
  2. 関コレ社の営業担当者と営業同行
  3. クライアントリストの作成(約80社)
  4. テレアポマニュアルの作成~テレアポ
  5. 2社からアポイントを獲得!
  6. それぞれの企業へ訪問
  7. 企業が抱える課題をヒアリング
  8. 課題解決のための企画を鋭意策定中

POPCORNプロジェクト

USJ等、大阪を中心に店舗を構える「ポップコーンパパ」を展開する(株)Dreamsとの連携で新商品開発に挑戦。学生発案のコンセプトは「子供だけでなく大人も笑顔にする」。ターゲットの選定や、味、パッケージデザインに至るまで何度も協議し、誕生した「八尾えだまめ」味。八尾の特産品を使用したこの商品は、消費者から大好評を得ました。

材料のえだまめを農家の方と協力して調達
材料のえだまめを農家の方と協力して調達
協議をかさねて誕生した「八尾えだまめ」味
協議をかさねて誕生した「八尾えだまめ」味

プロジェクトのプロセス(例:企画営業チーム)

  1. プロジェクトチームで何度も企画会議
  2. 企業ヘプレゼンテーション
  3. コンセプト策定~ラベルデザイン提案
  4. 市内の農家から材料を調達
  5. レシピ開発(えだまめフレーバーの開発)
  6. 「八尾えだまめ味ポップコーン」が完成!
  7. ネットショップで販売
  8. 完売

珈琲プロジェクト

サードウェーブコーヒーが広まりをみせる中、未だ認知は低いが産地や風味などにこだわった良質の「スペシャルティコーヒー」を知ってほしいという田代珈琲(株)の依頼を受け、遂行したプロジェクト。市場調査や認知度拡大の為の企画を検討し、実際にイベント会場に出店。更に、店舗運営にも挑戦しました。

教わったドリップ技術で実際にコーヒーを提案
教わったドリップ技術で実際にコーヒーを提案
広告店頭レイアウトの検討のために本店を見学
広告店頭レイアウトの検討のために本店を見学

プロジェクトのプロセス

  1. 田代珈琲にプロジェクトを提案
  2. ターゲット?コンセプトを策定
  3. 広告?店頭レイアウトを検討
  4. バリスタ?ドリップ技術の研修
  5. 文化祭に出店、大盛況のうちに終了!
  6. 珈琲プロジェクトの継続が決定

河内木綿プロジェクト

大学のある八尾市の伝統文化「河内木綿」を現代的な発想で製品化し、世界に発信して地元八尾市を活性化しようというのが「河内木綿プロジェクト」です。木綿の栽培?収穫から、商品の企画?製造?販売と、6次産業をリアルに体験しながら、さまざまな課題解決に取り組んでいます。

商品開発のために現場で打ち合わせ
商品開発のために現場で打ち合わせ
学生自ら藍染し、商品を製造
学生自ら藍染し、商品を製造

プロジェクトのプロセス

  1. 学園祭での藍染体験イベント
  2. 学内で河内木綿を有機栽培
  3. 綿つみ、糸つむぎ、機織り
  4. 藍染、紋様デザイン
  5. 伝統文化体験イベントの開催
  6. オリジナル商品の企画?開発
  7. SNSで河内木綿を世界に発信

その他の取り組み

(財)八尾市国際交流センターとの協力事業

八尾市国際交流センターとの交流は、1993年から始まり、今日に至るまで、絶え間なく行われています。相互協力事業の内容は、留学生への自転車無償貸与、留学生インターンシップ、本学と海外姉妹校の学生が参加する「国際学生交流セミナー」、関西地区の国際交流団体が毎年実施する「OSAKA IN THE WORLD」をはじめとする各種事業への相互協力など、多岐にわたっています。
2007年11月29日には、長年にわたる交流に基づき、「大阪経済法科大学と財団法人八尾市国際交流センターとの相互協力に関する基本協定」が締結されました。以後、同センターとの交流はさらに緊密さを増し、ますます発展しています。
本学は、今後も引き続き、同センターとの相互協力事業を推進するとともに、本学の建学理念に掲げられている人権の伸長と国際平和の実現に向けた取組を積極的に行っていきます。

八尾市教育委員会との連携

本学は、大阪府八尾市にキャンパスを有する唯一の大学として、これまでも教育、行政、文化など、各方面で八尾市及び関係諸団体との協力関係を構築してきましたが、2008年2月には、八尾市教育委員会と連携協力の協定及び学生ボランティア派遣に関する協定を締結しました。具体的な取組事業として、2008年4月より八尾市教育委員会との連携のもと、八尾市内の小?中学校において学校ボランティアを実施しています。

環境保全の取り組み

「ニッポンバラタナゴ」の保護

コイ科魚類のニッポンバラタナゴは、琵琶湖淀川水系以西に広く分布していましたが、現在では大阪府および四国、九州の一部の水系にしか生息しておらず、絶滅危惧種IA類に指定されています。本学では、地域環境保護活動の一環として、「NPO法人ニッポンバラタナゴ研究会(代表:加納義彦氏)」の指導協力のもと、本学「ふれあい池」において保護?繁殖をめざした取組を行っています。

ニッポンバラタナゴ

ニッポンバラタナゴ

和 名:ニッポンバラタナゴ
全 長:5~6cm
学 名:Rhodeus ocellatus kurumeus
    (コイ科 タナゴ亜科 バラタナゴ属)
    地方名:キンタイ(大阪府)
    ボテ(滋賀県?琵琶湖)
    ニガブナ(福岡県)など

ふれあい池ドビ流し

ふれあい池ドビ流し

『ドビ流し』とは、ため池の底樋(そこひ)を抜き、溜まった泥を流し田畑に取り込むことで、池の水質浄化と田畑の土壌改良を同時に行うことを言います。本学のふれあい池でも、ニッポンバラタナゴの生息環境を改善すべく、2007年以降、毎年実施しています。

日本ユネスコ協会連盟第3回「プロジェクト未来遺産」に登録

日本ユネスコ協会連盟第3回「プロジェクト未来遺産」に登録

日本ユネスコ協会の"未来遺産運動"は、「100年後の子どもたちに長い歴史と伝統のもとで豊かに培われてきた地域の文化?自然遺産を伝えるための運動」として実施されています。今回、「ニッポンバラタナゴを守る伝統的な溜池浄化法"ドビ流し"の継承」について、NPO法人ニッポンバラタナゴ高安研究会(大阪府八尾市)に対して登録証が授与されました。
同研究会には本学学生環境研究グループECO~る∞KEIHOも参加しており、地域と大学が連携して、本学キャンパス内にある「ふれあい池」での『ドビ流し』を含め、ニッポンバラタナゴ(絶滅危惧IA類)とドブガイ、ヨシノボリの保全活動に取り組んでいます。

ユネスコ未来遺産授賞式

日本ユネスコ協会では、毎年10件の「プロジェクト未来遺産」登録を行い、第3回の今回、大阪では初の登録となりました。今回の未来遺産登録は誠によろこばしいことであり、本学は今後も地域の環境保全に寄与していく所存です。
登録団体:「NPO法人ニッポンバラタナゴ研究会」
推薦団体:八尾市
協働団体:大阪経済法科大学/森林インストラクター阪奈会/庭樹園/八尾ライオンズクラブ/環境アニメイティドやお/高安緑の少年団/清風高校

河内木綿の保全活動

河内木綿の保全活動

江戸時代から明治時代にかけて、河内地方で広く栽培されていた綿から手紡ぎ、手織りされた綿布は、山根木綿(高安山麓)、久宝寺木綿、三宅木綿(松原市)などの名で知られていました。これらを総称して「河内木綿」といいます。河内地方では、16世紀末頃から綿作が行われていたようですが、その生産が飛躍的に伸びたのは、1704年の大和川付け替え以後のことです。砂地で水はけがよく、綿栽培に最適だったためです。河内木綿は繊維が短く、従って糸が太いため、織りあげた布地も厚くて耐久性にもすぐれていました。しかし、明治に入り、機械化による安価な紡績糸や化学染料が出回り始め、輸入綿の関税が撤廃されると次第に姿を消していきました。本学では、河内地域の特産品であった河内木綿の保全活動を行っています。